2006年04月25日

空気と blog


空気についての定義や現状の説明として
[空気論]序論・定義・分析
[空気論]空気を巡る混乱
を書いてきたわけだが、どちらかというとリアルな状況を思い浮かべた時の内容となっており
ネット上(主に blog) ではどうなのかというと、話は少し変わってくる。
SNS は SNS、会員サイトは会員サイト でまた違うと思うんだが、
今回は blog のみに関して書いてみよう。

発端はこんな記事を見つけたところから始まる
■「空気が読める」を「暗黙の文脈を理解する」って意味だと考えると、ネットでそれを他人に求めるのは無茶だと思う
もっと詳しく定義すると「相手がそれをどういう意図・態度で発信しているのか、どういう返信を求めているのかを理解できる」だと思っている。
・・・ 中略 ・・・
「過去ログも読まずに文脈を無視してコメントしないでください」というblog書きのぼやきはけっこう見かけるけど。その「過去ログ」を「日本社会の常識・暗黙知」と置き換えた物が「空気を読む」における暗黙の文脈だと考えている。
これが前提。
俺が定義した

・ 場の雰囲気や、他者の意見や利害関係を理解する事。また、その態度。

からは、もう一歩踏み込んだ定義だと思うが同意できる。そして

「空気を読む事を期待しない」というのは「blogのPermalink時代だから、一見の閲覧者に文脈を読んでもらうことは期待するだけムダ」というのとなんか似ていると思う
これが blog である。
(*Permalinkとは ・・・ 固定的なリンク、内容が変化しても変わらない恒久的なURLの事)

一体どういうことかというと、元来の日記やサイトや何らかのフォーラム、掲示板などは
その「情報提供者がどのような人物であるか」や「過去からの流れ」
「今まで話し合われてきた内容」などが比較的追い易い環境であった。
そして、そこに集う人間もまた固定的であり、その人物達の発言の履歴も追い易い環境であった。
いや、今でも追い難い事もないので語弊があるのかもしれないが、
それ以上に RSS や 検索エンジンの技術の進歩 ソーシャルブックマーク 等のサービスにより、
「広範囲から特定のページのみを抽出」する風潮があるのだ。

極論すれば、「何処の誰が記述したか」はあまり関係がなく
「その記事に何が書いてあるのか」が注目されやすいという事である。
(もちろん、著作権を無視してよい訳ではない)

TrackBack などの技術で記事同士のハイパーリンクが になることに反比例して
その記事の提供者の背景が になってきていると思われる。
何故ならば、膨大なハイパーリンクに連なった記事の情報量に対して
全ての背景を把握する事は不可能であるからだ。

これが blog の限界である。
いや、限界というよりも blog の役割 になっていると思われる。

しかし、そうなると今まで人と人との繋がりを重要視し
中身はまぁそれほど重要視しない人々はどうすればよいのか。
解決策は色々あるんだが、PC や プログラムに詳しくない人々への手っ取り早い解決策として
SNS サービスが台頭してきた理由の一つだと思うのだが、それは今回置いておこう。

要するに、public に公開されている情報は Google を筆頭とする検索エンジン
国内サイトではトップにいると思われる ハテナのブックマークサービス等の流れによって
「サイト」にやってくるわけでなく「読みたいページ(Permalink)」にアクセスしてくる人間に
「空気を読んでください!」というのは、難しいという事だ。

「空気を読んで発言してほしい」気持ちは分かるのだが、検索エンジンからやってきて
「ここは違うんじゃないの?」という見ず知らずの人に対してのレスが的外れだからといって
「全部読み直して発言しろ!」と期待するのは、上記の理由から期待はずれになることが多く
下手すると相手が逆恨みして逆に「荒らし」行為に走ったりする事になり
双方にとってよい結果が生まれるとは思わない。


* 分かりやすいように極論を挙げたが「blog を書いている人 = 人の繋がりはどうでもいい」
ではないし「SNSをやっている人間 = 人の繋がりを重視」する人間とは限らないのは言うまでもない。
posted by suVene at 15:02