2007年02月28日

ネット上の言論において価値観の「押し付け」というのは無理


という立場を俺は取っている。

ただし、いくつか例外がある。それは、特定のコミュニティ内の立場やルールにおいて、権力者の発言に従わない場合不利益な結果がもたらされる事が自明である場合や、現実の生活におけるしがらみと紐付いている場合、明らかに法に触れる行為をしている場合などだ。

ここでは例外について細かく説明するのもアレなので、タイトルの話は、一般的(というと語弊があるか?)なブログのコメント・トラックバックを含む意見交換や、HNを含む匿名発言を許す掲示板などでの意見交換、かつネット上での交流しかない場合という話に限定しておこう。

んで、「押し付け」ってのは、ある個人(集団)が他の個人(集団)に対して、抗うことが不可避な状態で相手に同意を求めることだとしておく。責任の「押し付け」は、ここでは除外し、あくまで思想・言論・価値観の話だとしておく。

ここまでの話は前提だ。

で、この前提が同じでない人もいるのだなぁ(と感じる)って話。

例えば、何処かの記事で表明された意見に対して、そんな価値観を押し付けるな!と言ってみたり、自分のブログのコメントやトラックバックに対して、そんな意見を押し付けるな!と言ってみたり、何とか相手の考えを自分の思い通りにしようとしてみたり。

ただ、ややこしいのは「相手から押し付けられている」と「相手が押し付けようとしているように見える」という区別が付きにくいということ。(違う言い方をすれば、個人的には区別したいということ)
前者は、「自分が受身となって感じる実感」としての話であり、後者は「押し付けることは無理なのに、相手がそうさせようとている」と仮定すること。

そして、前者の場合は完全に、後者の場合は一部、「無理」だという意味で否定したいのだが、そう簡単にはいかないようだ。

* 「相手から押し付けられている」という話
例えば、どこかで「押し付けるな!」という意見があった場合に、「それはあなたの被害妄想、又は誇大解釈で、押し付けようという意図はない。それに、押し付けることは無理である」と言っても、「そう感じるのだから仕方がない」という「受身となって感じる実感」を根拠に反論する人もいる。

この問題はとても難しい。

「その発言には「悪意がない」という免罪符」にも関係することなのだが、「私がそう感じるのだから、あなたの言動はそうである」というのは、ある意味とても恐ろしいものだ。例え「そのようなつもりはない」と否定しても、被害を受けたことを表明することにより、なんら客観的事実もなきままに、一方的な主観でもって相手を加害者に仕立てあげてしまう可能性がある。
だからといって、被害を受けたことを表明するなとは当然言えない。いじめの問題にせよ、セクハラの問題にせよ、偏見に基づく蔑視にせよ、何らかの抑圧にせよ、「被害を受けた」という実感はその本人にとっては紛れもない事実であるからだ。

この話を続けると長くなるので、違う機会で考える事にするが、そのような意味で簡単には否定できない。

* 「相手が押し付けようとしているように見える」という話
こっちは先のパターンに比べると否定するのは比較的簡単である。これは相手の意図を仮定した話なので「あなたは私に意見を押し付けようとしている(ように見える)」と言われても、「押し付けようとしていません」または、「押し付けることはできません」ということが可能である。
ただ、こちらのパターンもそれで納得すればよいのだが、「しかし私はそのように感じる」となれば、先ほどの前者のパターンの繰り返しであり、その意味で表裏一体とも言える。

* 簡単なまとめ
なんだか、「押し付ける」のは無理だという話をしていたはずなのに、「押し付けられた」と訴える人の意見を否定することは難しいという話に終始してしまったが、それでもやはり「押し付ける」のは無理であると考える。

これは俺にとっては、当たり前の話である。思想・信仰・信条・価値観は本人が納得するなりして「自主的に」選択するものであり、他人から強制されるべきものではない。というより、強制すること・されることはできないのだ。

これは俺にとっての大前提である。


suVeneのあれ: その発言には「悪意がない」という免罪符


posted by suVene at 15:26