2006年12月05日

言葉の定義を曖昧なままに混同して論じるのは面倒(が起きやすい)


追記: 2006/12/05 19:00 タイトルちょっと修正

la_causette: ネット上の誹謗中傷といじめの関係

 まず、言葉というのは概念を表す為の記号だと思っている。また、同じ記号でも文脈によって意味は変化するので気をつけなければならない。

 最近に限った話ではないのだが、「わかりやすい」言葉を使う事で「多くの人」に共通認識がとれると勘違いし、一見分かりやすそうな言葉で意見を主張し何かを表明した気になる勘違いというものが存在する。
 例を挙げるならば、「自由」「平和」「平等」のような近代的な思想の基本となるような言葉や、社会問題などで度々使われる「自己責任」「いじめ」、そしてネット上のごく一部で最近しばしば目にする「スルー力」などがそれにあたる。

 どの言葉も、とても分かり易く見える言葉なのだが、使われる状況によりさまざまな解釈をうむ。これらの言葉の中でも、比較的「根本となる概念や定義」を探し出しやすいモノもあるが、一般化して抽象度を高める事により、「これも自己責任」「それはいじめ」「あれはスルー力が足りない」などという様に、物事を一括りにして論じてしまう過ちをうむ。

 だからといって、「元の言葉の意味と違う!」と原理主義的な話をしようとしている訳ではなく、「どのような意味でその言葉を使っているのか」という事を意識し、なるべく説明しなければならないということを言っている。

 この記事のキッカケになった言葉は「スルー力」と「いじめ」といった言葉を拡大解釈したまま、具体的な主張をしようとする記事を見かけたからだ。
少し引用してみよう。
ネット上の誹謗中傷を学校での「いじめ」と比較して論ずることに不快感を示す人が少なからずいるようです。しかし、特定の他人を不快にさせることによって快楽を得るという点で共通していますし、学校での「いじめ」の手段としてネット上での誹謗中傷が行われるという事態も既に起こっており、米国では「cyberbully」として社会問題化しているわけですから、ネット上の誹謗中傷を学校での「いじめ」と比較して論ずることには何の問題もないということが言えるでしょう。
la_causette: ネット上の誹謗中傷といじめの関係
まず、この人の言う「いじめ」とはどのような定義をさすのであろうか。
 文部科学省の定義する「いじめ」ではないとは思うのだが、違うとすればどこが違うのか明確に述べないままに「社会問題としてのいじめ」と同列に述べるところがわかりにくい。

 次に、「比較」についてだが、「比較」とは似ているところを探して「ここが同じである」という言葉ではない。同一である部分を探す事も含まれるが、違いや関係や共通する・しない法則を明らかにすることであると認識している。この著者がやっているのは「比較」ではなく「混同」である。
 そして、その「混同」を正当とする理由もおかしい。「米国では「cyberbully」として社会問題化しているわけですから」などと言っているが、そんなものは理由にならない。アメリカの社会問題が日本の社会問題にそのまま適用される訳がないのである。ここでも「混同」が見受けられる。
 「比較」というのは、「アメリカでcyberbullyとして社会問題となっているようだが、日本における「いじめ」とネット上の誹謗中傷における共通点や関連、違い」を見つけて分析をする事であり、アメリカでやってるから日本でも同列に扱うは問題ない、というのはおかしいという話だ。

 最後に「スルー力」について。
もちろん、「特定の他人を不快にさせることによって快楽を得る」という行為は、他にも様々なバリエーションがありますが、通常は「被害者が我慢すればいい」「被害者がスルー力を身に付ければ済むことだ」「加害者側のプライバシー権の方が重要だ」みたいな話は、まともな人間は恥ずかしくてできない状況にあります。例えば、「痴漢に関しては、被害者が我慢すればいい」とか「セクハラは、被害者がスルー力を身に付ければ済むことだ」なんてことは、よくよくな人以外は口に出さないことでしょう
la_causette: ネット上の誹謗中傷といじめの関係
これは尤もな話で同意する。被害者に「気にするな」といって犯罪を見逃せというのはナンセンスであり、法治国家である以上見逃されるべきではないと思う。
 気になるのは「スルー力」の使い方である。
 少なくとも俺が認識する「スルー力」を概念的に例えると
「少しでも目に見えた罠や悪意(と勝手に勘違いしたモノも含めて)に対して、その罠や悪意による影響の大小に関わらず、自らその罠や悪意のところまで出向いていって「被害者」だと喚き散らすのは、ネット上において観測範囲が限りなく広がってる現在において、とても無意味(不可能)な事なので、スルーしましょう」
のような認識である。
「スルー力」については、次回以降 の entry で取り上げてみようと思うので、この言葉が持つ概念や意味についての細かい話は置いておくとして、ここで言いたいのは明らかに引用元の著者の人が使用している意味では考えていないということである。

 繰り返しになるが、勘違いして欲しくないのは、「だからアナタの「スルー力」という使い方は間違っている!」という話ではなく、「分かりやすさ」に潜むバズワードを使用して主張を繰り返すのは、読み手によってさまざまな解釈をうみやすいだけなので、再定義するか前提を明確にしたほうが無駄な議論をせずに済むということだ。こないだの記事でも最後のほうで蛇足としてつけたが、具体的主張において「優しさ」のような言葉を持ってくるのも同じことである。

 補足しておくと、思想的な主張をする為に抽象化される言葉の使用を批判している訳ではない。具体的問題を解決したり根本原因を発見しようとしたり、物事の解釈の手助けになる事は十分承知しているし、俺もそもそも「言葉」を駆使する事は苦手で度々意味が曖昧なままの文章を書く事がある。
 問題なのは抽象的である言葉を抽象的なままで、具体的問題にあてはめて主張する時に補足しようとしないスタンスである。著者の意識上は「自明であり狭義である」言葉なのかもしれないが、「広義な意味に解釈されて批判を生む」という無駄を省くためにも、前提を明確にしたほうがよい。
(前提を明確にしているのに、わざと拡大解釈して批判してくるようなのを「スルー力」で回避しとけって話だと思うのだが)

という訳で、引用元の著者に求めるのは以下のような事である

  • 現実での「いじめ」の定義
  • ネット上での「いじめ」の定義と現実との関係
  • ネット上の「誹謗中傷」のガイドライン
  • ネット上の「被害者」と呼べるだけの客観的条件、またはガイドライン

バズワードを使用して「いけない!」「ダメだ!」と主張するのもよいが、まずは上記のような事柄をどのような意味合いで使用しているのか明確にして欲しいということだ。

la_causette: ネット上の誹謗中傷といじめの関係

posted by suVene at 13:55